浪花節

日本

浪花節(浪曲)

浪花節は浪曲とも呼ばれる、日本の歌い語りの芸です。一人の演者が長い物語を、半ば歌い半ば語りながら演じ、三味線弾きがそれに伴奏します。明治初期の大道芸から生まれ、20世紀前半には日本で最も人気のある娯楽の一つとなりました。

  1. 新生涯ShinshōgaiSuehirotei Tatsumaru (末廣亭辰丸) · 声, Shamisen · 19062:52
  2. 赤垣源蔵徳利の別れ(一)Akagaki Genzō tokkuri no wakare (1/4)Yoshida Naramaru II · 声, Shamisen · 19243:42
  3. 赤垣源蔵徳利の別れ(二)Akagaki Genzō tokkuri no wakare (2/4)Yoshida Naramaru II · 声, Shamisen · 19243:34
  4. 赤垣源蔵徳利の別れ(三)Akagaki Genzō tokkuri no wakare (3/4)Yoshida Naramaru II · 声, Shamisen · 19243:46
  5. 赤垣源蔵徳利の別れ(四)Akagaki Genzō tokkuri no wakare (4/4)Yoshida Naramaru II · 声, Shamisen · 19243:48

解説

一つの物語には、ふつう三十分ほどかかります。物語は忠義、義理、人情を好んで取り上げるため、「浪花節」という言葉は今も日常の日本語で、感傷的なものや涙を誘うものを指して使われます。

聴きどころ

舞台には二人が立ちます。語り手である浪曲師は中央に立ち、二つの様式を行き来します。節は歌われる部分で、場面を描き、登場人物の心情を歌い上げます。啖呵は語られる台詞で、語り手が登場人物を一人ずつ演じ分けます。演者たちには、何が最も大切かを言い表す古い言葉があります。一声、二節、三啖呵。

もう一人は三味線弾きの曲師です。浪花節では、重く棹の太い三味線を三下りと呼ばれる調子に合わせ、小さな撥で弾きます。台本はあっても楽譜はないため、二人の演者は互いの音を注意深く聴き合わなければなりません。現代のある語り手は、舞台上の二人のやりとりをジャズのセッションにたとえています。三味線が声にただ従うのではなく、応え、押し出していくさまに耳を傾けてください。

略史

浪花節は、より古い大道の芸を土台としています。滑稽な語りのちょぼくれやちょんがれ、祭文と呼ばれる語り歌、そして説経節の宗教的な語り物です。関西地方では、これに近い様式が浮かれ節の名で呼ばれていました。大坂の古名である浪花を冠してはいるものの、「浪花節」という名そのものが定着したのは東京でした。演者たちは長年、縁日や人の集まる広場の仮設の小屋で芸を披露していました。いつ組織化されたかについては資料によって食い違いがありますが、1879年ごろには芸人としての鑑札を得ていたようです。

その後の二十年で、この芸は屋内へと移りました。1900年までに、東京の寄席の三分の一以上が浪花節を主な演し物として掲げていました。最初の録音は1903年に行われ、1906年には東京で大流行が起こりました。1907年には桃中軒雲右衛門が東京の大劇場を27日間連続で満員にし、浪花節は千人以上の客席を埋めることのできる劇場の娯楽となりました。

新聞がこの芸を「浪曲」と呼び始め、昭和に入るとその名が次第に古い呼び名に取って代わりました。ラジオとレコードが、浪曲を都市から地方へと運びました。昭和初期の最盛期には、全国に約3,000人の浪曲師がいました。戦後、その人気は急速に衰えました。それでも今なお定席があり、東京・浅草の木馬亭や、大阪の一心寺のそばにある寄席などがその例です。

まずはこちらから

「新しい人生」を意味する新生涯は、1906年に末廣亭辰丸が、三味線を伴って吹き込んだものです。浪花節が東京で大流行していた年、この芸の最初の録音から三年後の録音です。

よくある質問

浪花節とは何ですか?
浪花節は浪曲とも呼ばれる日本の語り物の歌で、一人の演者が歌の部分と語りの部分を交互に用いて物語を語り、三味線弾きが伴奏します。明治初期の大道芸として始まり、20世紀前半には大衆娯楽の代表格でした。
浪花節と浪曲の違いは何ですか?
同じ芸です。浪花節が古い呼び名で、浪曲は新聞を通じて使われるようになり、昭和の時代に一般的な呼び名となりました。
浪曲の伴奏にはどんな楽器が使われますか?
三下りの調子に合わせ、小さな撥で弾く、棹の太い三味線です。弾き手は曲師と呼ばれ、楽譜なしで語り手にぴたりと寄り添って演奏します。