声明・読経
声明と読経は、日本の仏教の僧侶が典礼を声にする二つの主な方法です。声明は天台宗と真言宗に伝わる旋律的な詠唱で、読経は経典を声に出して読むこと、つまり経本を見ながら、あるいはそらんじて唱えることです。
- 四天王寺の読経Shitennōji no dokyō4:57
- 東本願寺の勤行Higashi Honganji no gongyō — 東京・東本願寺で読経する僧侶たち6:03
- 浄妙寺の読経Jōmyōji no dokyō — 鎌倉・浄妙寺の読経1:32
- 善光寺の太鼓と読経Zenkōji no taiko to dokyō3:40
- 七面山の読経Shichimenzan no dokyō4:20
解説
どちらも今日、都市の大伽藍から山中の寺に至るまで、日本各地の寺で聞くことができます。このページの録音はいずれも寺で録られたもので、演奏会の音楽としてではなく、それぞれの場の営みの一部として読経を捉えています。
聴きどころ
読経では、経文が速さを決めます。多くの僧が声を合わせて唱えることには諷経という呼び名があり、声は一つの体のようにまとまって言葉を進んでいきます。拍を保つために、木製の魚形の鳴り物である木魚や、寺の太鼓が打たれることもあります。木魚は外側に筋を刻んだ中空の木の塊で、魚は眠らないとされることから、その音は目覚めて心を澄ませよという呼びかけと受け取られています。寺に置かれたもののなかには、300キロを超えるものもあります。
声明は別の芸です。雅楽と同じ五音音階である呂の音階に基づき、伝統的に「難しいもの」と「覚えやすいもの」と言い表される様式に分かれます。拍ではなく旋律の線を追って聴くことが、声明に近づく入り口です。
発音も大切です。経典の漢文をそのまま漢字音で読む宗派もあれば、日本語に読み下す宗派もあり、天台宗と真言宗はそれぞれ特定の経典について古い読み方を守っています。そのため、同じ経典を唱えていても、二つの寺でまるで違って聞こえることがあります。
略史
詠唱は奈良時代にはすでに仏教の儀式の一部でした。752年には、東大寺の大仏の開眼に際して詠唱の法会が営まれています。平安時代初期に空海と最澄が中国から詠唱の様式を持ち帰り、それが真言声明と天台声明の基礎となりました。
何世紀ものあいだ、声明は師から弟子へと耳で伝えられました。のちに記譜法が整えられましたが、その用語は宗派ごとに異なり、あくまで覚え書きの役割にとどまりました。習得には、なお対面での伝授が欠かせなかったのです。1109年、良忍が京都近郊の大原に来迎院を開き、勝林院とともに天台声明の大原流を修練する拠点となりました。鎌倉時代初期には、僧の湛智が体系的な音楽理論をまとめ、それは今も天台声明の根幹をなしています。
声明は寺の外にも跡を残しました。日本語の詞による儀礼的な講説の形式である講式は独自の記譜を必要とし、のちに能の謡を含む後代の音楽に影響を与えました。
よくある質問
- 声明とは何ですか?
- 声明は、日本の天台宗と真言宗に伝わる旋律的な仏教の詠唱です。その基礎は平安時代初期に最澄と空海によって中国からもたらされ、伝統的に師から弟子へと耳で教えられてきました。
- 声明と読経の違いは何ですか?
- 読経は経典を声に出して唱えることで、多くの宗派で行われ、木魚によって拍が保たれることもよくあります。声明はより旋律的で、正式な伝授を通じて受け継がれる詠唱の伝統であり、主に天台宗と真言宗と結びついています。
- 仏教の読経で使われる木の鳴り物は何ですか?
- 木魚です。中空に彫った木の塊で、経を唱えるあいだ拍を保つために打たれます。魚は決して眠らないとされることから、その音は目覚めていることを表します。